ルー・リードと昼飯

起き抜けにヴェルヴェッツで一番好きな「Ⅲ」をターンテーブルに乗っけた。
ラストの曲「after hours」が終わるころの何とも言えない不思議な気持ちは、初めて聴いた15才の頃から変わらない。
ルー・リードがいなくなったんだから、何とも言えないまんまじゃだめなのにな、と思った。

俺の親友のsalsaスズケンさんが
「ロックンロールはまだせいぜい60年の歴史しかなくて、オリジネーターがまだ生きてて見れたりするってのはすごいことだなと思う」
と言っていた。
確かに俺はいつかのフジロックで、ルー・リードを観た。
スティービー・ワンダーもはじめてサマソニに自分が出た時に観た。
来月は東京ドームにポールマッカートニーも観に行く。
来日すればディランもニールヤングも観れる。

けど、ルー・リードが死んだように、いつか彼等も死ぬ。
その時に、俺達が未来の音楽をちゃんと作れているだろうか。
俺達はなまけすぎているんじゃないだろうか?
ちゃんと音楽やらなきゃダメなんじゃないだろうか?


俺はいま昼飯を歌ってる。
無防備でまっさらな、遅い起き抜けを。
きっとこれは真実で、自分の中での揺るぎない強さだ。
まだそれを俺は信じてる。

覚悟を持ったものしか、ステージには立っちゃならないんだ。
喧嘩売るなら、ちゃんと喧嘩しようよ。
ただしいかたちで。


K.K