まぶしくて

こんにちは。
元気にしていますか?

つい一週間くらい前にツアーが始まって、何人かの人たちとはそれぞれの街で会ったけど。
みんな元気そうでうれしかったです。

一度、東京に帰ってきて洗濯物干したり、通院してる病院に行ったり、銀行にお金を振り込んだり、PASMOに2000円チャージしたり、取り置きしてた洋服を取りに行ったり、そんな生活の細々とした事柄をやりくりしています。
そんな中で友達と会ったりしたし、楽しくやっています。

ところでぼくの中には心ってものがあります。
それは気持ちにも近いです。
同じものを目にしても、ぼくときみでは感じる気持ちは(似てることはあるだろうけど)違いますよね?
目や耳や手や足がふたつずつあって、鼻と口と内臓がそれぞれひとつずつあるけど、ぼくたちは全然別の人間です。

ということは、ぼくだけしか知らない気持ちがあるってことです。
ぼくだけが見た山の角度や、風のつよさや、花の香りがあるってことです。
ぼくしかできない方法があって、やり口があるってことです。
なのになぜか。こと音楽になると、ぼくたちはフォーマットやコミュニティの中に溶け込んでしまいます。

やっぱりぼくだけしか知らない気持ちを、ぼくだけの方法で歌わなくちゃダメだ。
革新的じゃなくていい。
ぼくだけの歌をうたわなくちゃいけないんだと思います。

普段、あなたが学校やバイト先や仕事先のしがらみの中で不自由に生きざるを得ないのなら尚更。
ぼくたちは音符やリズムやフォーマットやジャンルやコミュニティといったすべてから解放されて、本当の自由を歌わなくちゃいけない。
心を解放して、心を自由にさせて、心をタンポポの綿毛のように、あてどない風に乗っけて自由にさせてやらなくちゃ。

今回のツアーは魂と魂の会話です。
音楽を感じるって行為は、芸術に触れるってことは、魂を素手で触る行為です。
岡本太郎が『生きてる者はみな芸術家だ。』と言っていました。
すでに廻った5カ所の街に来てくれた皆さんも、どの場所でもぼくの魂に素手で触ろうとしてくれました。
ぼくも何くそって思って、あなたたちひとりひとりの魂に素手で触りにいきました。
ぼくはその姿がとってもまぶしくて、いたく感動してしまったから、きっとみんなもうとっくに芸術家なんだと思います。

ぼくの歌を好きでいてくれて、ありがとう。
明日からまた人前で歌う生活に戻ります。
みなさんのやり方で、自由に楽しんでくださいね。

K.K





【今日の新曲】

『まぶしくて』

「死にたいな」って言われても
ぼくは殺してやれないよ
法律の話じゃないよ
ぼくは君が好きだから

きみはきみの絵の中で
ぼくは音符の波の上で
うまく遊んでいたつもり
とても楽しんでたつもり

コインランドリーまわして
漂白される漂泊者たち

まぶしい まぶしい まぶしい まぶしい
誰かの分まで生きることなんてないよ
すでにきみはまぶしい

「さびしいな」「かなしいな」
「耐えきれない」「死にたいなあ!」
凍りつく背筋に走った
目にも止まらなかった虫酸

ところできみはいくらなの?
きみはいくらで買えるの?
きみは夜だけの恋人
遊びなんかじゃないつもり

乾燥機をグルグルと
網膜まで。
どう?足りてる?

貧しい 貧しい 貧しい 貧しい
存在の軽さに息を飲んで震えるだろう
心が今、ほら貧しい

四つの季節の天使たち
ぼくらそれぞれに
廃盤になった心をください

まぶしい まぶしい まぶしい まぶしい
もう少し呼吸を深く
僕の目をちゃんと見てて
ほらね ほらね

まぶしい まぶしい まぶしい まぶしい
誰かの分まで生きることなんてないよ
すでにきみはまぶしい