暇つぶしにはちょうどいい

Swelling Image Clubというバンドがいた。
解散したのはもう何年前になるのだろうか、2006年か、2007年のことだったと思う。
彼らはぼくが初めて身近に話したり、接したりした、所謂インディーズバンドだった。

俺はまだギリギリ10代で、オープンしたばかりの下北沢MOSAiCや、今は名前の変わった新宿HEAD POWER、渋谷乙(この日、地の果てまで続くような大恋愛をした、けどそれはまたいつか話す)なんかで彼らはライブをやっていて、俺は足繁く彼らのライブに通っていた。

その頃、世界的に「ロックンロールリヴァイバル」と銘打たれたひとつのジャンルが流行し始めていた頃で、フランツフェルディナンドやザ・ミュージック、ブロックパーティーハイヴス、ヴァインズなどなど数えだしたらキリがないほどのバンドが各国から溢れかえりはじめていて、そのどれもが「切ないのに踊れること」を主軸にロックしていた、といちリスナーとして感じていた。

俺も俺でそれなりにそこらへんの音楽に傾倒していたのだけど、どうにも物足りないと思っていた。
圧倒的に悲しみが足らないのだ。
(シーンの熱が収束し、そこから巻き返し、花火のように散ったザ・ミュージックだけは俺の中で別物になったが、それは何年後かの話。)

そんな物足りなさの中、圧倒的な悲しみを携えて、俺を踊らせてくれたのはアメリカでもイギリスでもヨーロッパ諸国のバンドではなく、極東日本のSwelling Image Clubだった。

俺はその出逢いを境に、彼らの楽曲を家でひとりコピーし、歌詞からメロディーからリズムから曲構成からすべてに影響を受けてしまうことになる。
ずうっと昔、もう10年近く前のことだ。

そんなSwelling Image Clubは気づいた時には解散し、それぞれのメンバーの動向はほぼ闇の中。
音楽をやめたり、つづけたりしていた。
俺は俺でそんなコピーパクリ野郎となっていた自分から脱却したタイミングで歌詞と曲が180度変わり、後にTHEラブ人間を結成したもんでそれからの彼らをほとんど知らなかった。

ある日、ユウくんだけはPLANETARIAというバンドを新しく組み、活動していると小耳にした。
6年ほど前のことだと思う。
一度だけ観に行って、がっかりして帰った記憶がある。
俺はあの4人のSwelling Image Clubを愛していたし、すでにそれは完結してしまったんだな、と思った。
それから一度も観に行くことはなかった。

そんなPLANETARIAの解散ライブを昨夜、観た。
Swelling Image Clubのメンバーも揃っていた。
俺はひとり、あの頃の青春(という言葉が似つかわしいけれど紛れもなく青春としか言えない時代)の真っ只中に立ち返ってしまったような気分になった。

6年ぶりのPLANETARIAは、凄みがあった。
重く、深く、なのに軽やかだった。
肩の荷が降りた人の音じゃなかった。
俺の憧れは、俺の憧れのまんまで、いくら俺が強くなっても、憧れの背丈はいつも頭一個分高いのだ。

あの日、なぜ俺はPLANETARIAにがっかりしたのだろう。
なんで、あんな風に思ったんだろう。
そうか、きっと寂しかっただけだったんだ。


本編が終わり、アンコールに応えたユウくんは「これで食ってるわけでもないのに、なんでいい歳こいてバンドなんてやってんだよ、いつまで続けるんだよ、なんて言われることもあるけど、こればっかりはステージに立ったことがない人にはわからないよ。いくら馬鹿にされても、なんて言われようとバンドってすごい楽しいんだよ。」というようなことを言っていた。

楽しい、が原動力になっていた時期のことを思う。
今、俺は楽しいを原動力にして歌をうたってはいないな、と思う。
結果を残したい、だとか、認めさせたい、だとか、わからせてやりたい、だとか、そんなんばっかだ。
もちろん、俺は、そうやっていくけれど。
そんな簡単に自分の原動力の源は変えられないし、
エネルギーの製造方法は、何年か掛けてゆっくり、変動されていくものだ。

でも、楽しい、が原動力になっていた時期のことを思う。
今日だけは、あの頃を思う。
19才になったばかりで、コードの名前も、リフって意味も知らない、あの時期のことを思う。
渋谷乙のドリンクカウンターで飲んだレモンスカッシュかなんかを思う。
盗みまくったあのドラムフィルインを思う。
リッケンバッカーを買うために貯金をした頃のことを思う。
そらで、全曲の歌詞をノートに書けた頃のことを思う。
全部全部、自分の歌や曲になってしまうことがすごく楽しかった、あの頃のことを思い、耽る。

再結成?楽しみにしてます。

K.K



【今日の新曲】

「暇つぶしにはちょうどいい」

きみがいなくなってから
毎日とても充実してる
きみがいない街にきみのこと
見つけたりして遊んでる

店先に飾ってある
青くてかわいい、あの帽子
きみにとても似合うだろうな
なんて思って遊んでる

ほらやっぱりいつもと同じで
きみとの恋愛なんて
死ぬまでの暇つぶしなだけだった

けれど
あと50年後に死ぬとして
その50年にきみがいないと
100年にも200年にも
感じるくらい長いのだろう

きみがいなくなってから
毎日とても充実してる
ひとりで歌う時はいつでも
きみのことだけを歌ってるよ

きみがいなくなってから
訪れたのは穏やかな日々
涙を流すこともなかった
もう、だいじょうぶだと思った

ほらやっぱりいつもと同じで
きみとの恋愛なんて
死ぬまでの暇つぶしなだけだった

けれど
あと50年後に死ぬとして
その50年にきみがいないと
100年にも200年にも
感じるくらい長いのだろう

そんで
俺は気づいてしまうんだ
これからの50年間の中
1つも楽しいことなんて
絶対にないことに

嘘さ
きみがいた、たった1年が
俺をよろこばせ、悲しむ
これからの50年のちょっとした端々を
暇つぶしてくれるだろう