we were born to fun!

パンクロックを若くして聴いた人のほとんどがそうであるように、ぼくも「憧れることは格好悪いこと」だと思っています。
近代ではスナフキンもそんなことを言っていました。

今冷静に考えれば、「他人に憧れるな!己を見つめろ!」と言うパンクのスピリットに拳を突き上げる時点で、ぼくらはパンクのスピリットに憧れているわけでして、10代の頃はそりゃあそのスピリットに反してなんでも物真似てばかりでした。

シドヴィシャスのRマークの南京錠をつけ、ジョニーロットンのガーゼシャツを着て、ジーンシモンズのようにベロを出し、ヒロトのようにポゴダンス。
ピートタウンゼントのようにギターを構え、吉野寿のように酒をあおり、宮本浩二のように本を読み漁り、村上春樹の口癖。
曽我部恵一のような愛について、遠藤賢司のようにぼそぼと歌い、友部正人のように街を眺めていたら、気づけば自分が作られていたのです。

誰かの集合体としての自分のくせに、やっぱり他のどこにも存在しない自分だというのは変な感じです。
借り物の体に、借り物の心を詰め込み、借り物の鳥かごに押し込められたような気分です。

一日の終わり。
鏡を見ると、何度も何度も反芻した自分がうつっています。
そのたびにうんざりするのです。
これと一生付き合っていくのか、と。

ぼくはきっとまだ誰かに憧れているんだと思います。
あの頃と違うのは、それは遠い国の誰かでも手の届かない相手でもなく、とても近くにいる人だということ。

2009年「パニックルーム」という曲で、きみになりたいと歌ったぼくは、2013年「bedside baby blue」という曲で、本当はきみになりたかったと歌いました。
今もまだぼくはきみに憧れて、きみになりたいと思っています。

悔しいくらい、自由を知っているね、きみは。


K.K




【今日の新曲】

「we were born to fun!」

きみは花で呼吸をして
夜は酒を切符にする
世界中いたるところに
においをつけてゆく

髪の毛の五線譜で
曲を書いて空も飛べる
サリエリよ!聴いてくれ!
やりたくないことはしない

きみが俺といて
楽しいかはわからないけど
それは置いといて
俺はきみといると楽しいよ

胃の中にあるものは
いつか全部なくなるけど
出来るだけ溜め込んで
吐きたいときに吐き出そう

きっとそれは真理だから
教科書に載っていない
正しいことはひとつも
教科書に載っていない

きみがそばにいて
苦しい気持ちにばっかなるけど
それでも生きてるのは
ぼくの偏差値が低いから

きみが俺といて
楽しいかはわからないけど
それは置いといて
俺はきみといると楽しいよ