知らない自分

昨夜は仙台Tiki-Potoにて初のソロワンマンライブでした。
ちゃんとお客さん入るかな〜って心配してたけど、蓋を開けたら満員御礼。
ほんとにうれしかったけど、頭上には?マーク。
新幹線なんかじゃなきゃ行けないほど離れた、この遠くの街に自分の音楽を求めている人間がいるという紛れもない事実に、今も胸をかきむしられる。
それは「不思議」よりも、もはや「怖い」に分類される気持ちだ。

歌えるだけ、歌おうと思っていた。
曲の量は誰にも負けない自信がある。(無論、質、と、冒険心も。)
時間が許される限りは歌う予定だった。

結果、4時間で52曲。
でもそこでタイムオーバーが来たわけではなく、自分の手によって幕を降ろした。
まず3時間を超えるか、超えないかの時に目の前がホワイトアウトしだした。
感じでいうと、立ちくらみのそれをもっとひどくさせたような。
いくら平常心を取り戻そうとしても、脳味噌のどこにも力が入らない。
そしてラスト2曲を前にして、あと2曲しか歌えない、と思った。
というか、体が判断しているようだった。
つまり今の俺の実力をもって、ノンストップで歌える限界が52曲だったってわけだ。

それでも面白いのは、ホワイトアウトした視界と脳味噌が揺らされ続けるような平衡感覚の喪失をもってしても、歌はギターは心は鳴り続けていた。
自転車に一度乗れてしまえば、自転車で転ぶことができなくなるように、歌うこととギターを弾くことが体にインプットされているのだ。

ああ、これが体で歌うということなんだ。
無駄なことを一切考えず、どんな風に見えてるだろうなんていやらしさも、こうやったらお客さんが盛り上がってくれるとか、こうやったらお客さんが楽しんでくれる、グッときてくれるなんて浅はかな計算も、人体の前ではゴミ粒だ。

消しゴムは使えば使うほど、少なくなっていくわけだが、人間の体にはそのルールは適用されない。
俺の喉は、俺の体は、最後になればなるほど、熱を帯び瑞々しさを増していった。
そして、ラスト2曲を前にして、体は終わりの時間を突如迎えた。

歌う理由、音楽をやり続ける理由を探し求めていたけれど、俺はただ興奮したいだけだったのかもしれない。
きみと一緒。見にきてくれるきみと一緒。
自分の未知数をしることで何度も何度も興奮したいだけ。

物凄い夜だった。
こんな歌をずっと歌いたい。
こんな風に歌と向き合えるなら、俺は昨日死んだって構わなかったと思う。

手を貸してくれたみんな。
ありがとうございました。


セットリスト挙げてみたんだけど、やっぱり覚えてないので、多分歌ったであろう46曲分を書いておきます。
あと5曲くらい思い出せない。


【2013/7/3@仙台Tiki-Potoセットリスト】

1young apple
2記憶の街
3どこかの駅で乗り換えて
4西武鉄道999
5結婚しよう
6ヘロイン
7ゆめちゃん
8コカコーラ・イン・マイ・サマー
9犬の人生
10夏とシドヴィシャスとわたし
11売れない漫画家のブルース
12CITY
13ひかりのひと
14京王線
15珈琲屋の娘さん
16六曜日(週末の香り)
17あのコ世田谷気分3
18東京
19西調布
20KYO TO KYO
21FUCK OUR DAYS
22my lost virgin
23こいのおわり
24白い部屋
25悲しみの分け前
26幸せ
27フェラガモ
28星影のワルツ
29砂男
30City Lights Gently Weeps
31恋人たち
32なつみちゃん
33八月のサイン
34ロマンス
35カレーライス
36バンドをやめた友達
37GOODBYE CITY
38死にたい盛りのメロウソング
39これはもう青春じゃないか
40わたしは小鳥
41shimokitazawa-nite
42黒いドロドロ
43愛ってかなしいね
44レイプ・ミー
45りんごに火をつけて(Light My Apple)
46どうせ、慰時代


K.K


素敵な写真をのっけておきます。