I LOVE N.Y

ここ最近、夜は涼しくて
はじまったとばかり思っていた夏が終わりに向かっているのを、肌で感じる
夏のクライマックス
ぼくは風邪をひいた



これといったトピックスのないぼくの日記をどれだけの人が見てるのだろうか。
誰が見ていて、どれだけの影響があるかなんてことは、スーパーどうでもいい(Wienners新譜発売おめでとう。)のだが、気が滅入るほど毎日は退屈だ。

最近はラーメンをよく食べている。
猫にまみれている。
どこかで眠って、どこかへ歩いて、どこかで話している。

最近では、ぼくの仕事というものはなんてまあ地味な仕事なんだろうなあ。なんてつくづく思う。

オーディエンスの皆さんが直接、目にするぼくは大体がステージの上だと思うのですが。
そこはぼくやってる仕事の1割ぐらいのものです。(割合で言ったらね。)
そこはもしかしたら端から見たらものすごーく煌びやかなものなのかもしれないですね。
現にぼくはこの仕事につくまではそう思っていましたから。

でも、ぼくの仕事の9割が「楽曲を制作する」ことです。
つまり地味な毎日を過ごして、その中で感じたり考えた地味な発想や言葉を、楽曲にする。ってこと。

毎日、毎日がその繰り返し。
大学の時にやってた製本工場のそれと大した代わりはないのです。
ベルトコンベヤーで送られてきた本を、10冊ひとくくりにして梱包する。
地味な発想から産まれた言葉とメロディーを、楽曲にする。
それが、ぼくの仕事の大半です。

そして、今になって思うことはそうでよかったな。ということ。
すべての瞬間、スポットライトを浴びるように暮らし働くことは、ぼくには似合いませんでした。
背伸びをして生きることを拒否した中学生のぼくが、それを教えてくれた。

昨日、一年ぶりくらいに話した志磨くんから生活のにおいがした。
ステージの上の彼も、下の彼も、ロックスターでもなんでもない、ただただ地味で退屈な生活を過ごす音楽家だった。
ぼくには、そんな歌に聴こえた。


陽が暮れる頃、仕事を終えて
どこかで待ち合わせをして
今日はこんなことがあった、あんなことがあった
なんてことを言い合いながら歩いて
ご飯を食べて、眠る

そして、つぎの一日へ。

それの繰り返し。
退屈で地味で、なによりも愛おしい。

ぼくの生活の柄。



【今日の新曲】

「背骨のブルース」

おんなはくにゃくにゃと
布団を蹴飛ばし眠っている
ぼくは窓の外を仰いで
まっすぐな背骨をなぞります

ここに帰ればきみがいて
それはぼくがいることとおなじ
おはようときみはぼくに
おはようとぼくはきみに

いまのところぼくはそれを愛と呼んでいる

おんなはくにゃくにゃと
湿った布団の中ぼくと踊っている
ぼくら髪の毛を洗い合って
まっすぐな背骨をなぞります

ふりかえれば子供過ぎて
青の時代 まるで蜃気楼
いってきますときみに
いってきますとぼくに

いまのところぼくはそれを愛と呼んでいる

いまのところぼくはそれを愛と呼んでいる