マイ・ディアー・ナッティーズ

映画「ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳」を観にK's cinemaへ。
戦後から広島の被爆者とその家族を撮ってきた報道写真家の今日までのドキュメンタリー。

「表に出ないものをひっぱりだして、叩きつけてやりたい」と彼は言う。
日本が隠し通そうとするあらゆる事柄。
彼の撮ってきたそれらの事柄はピカドン三里塚闘争、安保、東大安田講堂水俣病ウーマンリブ祝島とまさに日本の歴史。

目的のためになんのためらいもなく法を犯し、突き進む姿はまさに表現の極北。
真清らかな、反骨精神。

「問題自体が法を犯したものであれば、報道カメラマンは法を犯しても構わない。」とも彼は言っていた。







ある、夜。
ひさしぶりに朝まで下北沢で遊ぶ。

糞みたいな友達がたくさんいて、よかった。
まさにこの日記のテーマ。
おお、愛しきぼくの糞みたいな毎日よ。



いろんなものと、別れそうになる。
ふっと気を緩めた瞬間に大切なものは失われる。
やっと手に入れた、と安心した束の間の一瞬。
痛いほど解ってきたつもりだが、いつもそれは瞬時に失われる。
そして、言う。

「金田くん。きみは甘い。甘すぎるよ。」って。

何曲もの名曲が産まれ、象られ、放出されるように。
愛もまた同じ。

もう、失くしちゃいけない。
手離すなよ!馬鹿野郎。




3日連続で歌ってきました。
新宿紅布/高崎フリーズ/香川MONSTER baSH

それぞれの地で、それぞれのため息が、それぞれの方法で感嘆の声と成る瞬間を目撃しました。

新宿は一時間。
高崎は三十分。
香川は二十分。
それぞれ歌った時間は違えど、放出されるものは同じ。

言葉なくして、言葉を伝えたいと今、強く思っています。
それが音楽のあるべき姿であり、ぼくの理想だと思っています。
自分の想像や道徳を越えた表現を追い求めるには、まず自分が想像し得るものをすべて肌で確かめてから。
また立ち返る時が、来た。



MONSTER baSH最後に上がった花火が綺麗だった。



帰り際に食べたうどんも美味しかった。
食事の価値観まるごと持っていかれた。
たも屋という店です。

岐阜ぐらいまで行ってから財布を忘れたことに気づいてしまった。
お店に電話して着払いで家まで送ってくれないかと頼む。

二日後、家についた封筒には、財布と綺麗な夏模様の便箋が。

「遠くからご来店いただきありがとうございました。また香川にいらっしゃった際にはご来店お待ちしております。まだまだ暑い日が続きますので、お体に十分お気をつけください。」

丁寧に書かれたその手紙と、財布は当たり前のように着払いではなかった。

ぼくは遠く離れた香川の街を思う。
その片隅で汗水流して、誇りを胸に働く人々のことを。
もうすぐ秋がくるあの街に、ぼくはなにを贈ろう。






ひとつひとつなにかを成し遂げていく。
ぼくはそれこそが人生だと思ってる。

あと何度、この場所から夕焼けを望めるだろうか。



K.K