two two two

最近はスタジオでレスポールを使っている。
親友の鈴木匠(我々のインディーズ音源はほぼ彼の録音)に譲ってもらったOrvilleのワインレッド。
どの国の製造かも、製造年も調べてないが、とにかく好きな音がする
まろやかで、儚くて、なのに終わりがない音。

ずっとレスポールへの偏見があって購入しようとも思っていなかったが、使い出してみると癖になる。
やめられなくなりそうだ。

ライブで使う予定は今のところないが、もしかしたら明日にでも使い出してしまいそう。
いつだって、心の制約なんてそんなもんだ。
すぐにほどけてしまう。

丁度良いエフェクトボードも手に入れた。
それだけで演奏するのも、スタジオに入るのも楽しくなるもので一秒でも長くスタジオに入っていたい。

最近のスタジオワークは一進一退。
音と言葉の約束事が失われそうになる瞬間がある。
それはとても怖い。
どこまで自分は突き抜けていられるものだろうか。
考えすぎるのは心臓に悪い。

最近観に行った灰野敬二の映画/THEピンクトカレフのライブに相通じる感触は、まさに突き抜ける様だ。
観ていて心臓に悪い。
けど、ぼくはその一般的な耳触りの悪さに歌を感じる。
日本の歌だ。
ロックでも、パンクでも、ジャズでもない。
母の子守唄に似た、たぶんとても愛に似ている歌。



昨日は、隅田川灯篭流しへ。

精霊流しとも呼ぶこの行事は、死者の魂を弔って灯籠を海や川に流すものだ。
日本ではお盆の季節に行われる送り火の一種なのだが、20歳の頃訪れたインドのバラナシというヒンディー教の聖地では「プージャー」という灯篭流しが毎晩行われていた。
そこらへんに落ちている木の葉や、咲いていた花を摘んで作った小船に、ろうそく、花を入れてガンジス川に流す。

インドは交通事故ばかりだし、川沿いに火葬場もあるので死がとても近い存在として生活の傍にあるから、毎日のように死者を思い返す。

日本はやっぱり自分を省みるにも、死に関してとっても鈍感な国だから一年に一度、お盆の時期に死んでいった人々や、祖先のことを思い返すんだろうな。

死ぬって怖いことかも。
生きるって怖いことかも。
でも何も考えずに生きることは、死ぬことよりも怖いことかもしれないね。

本当に身近な肉親を亡くしたことがないぼくは、死者を思い返すことは、そんなに多くない。

大好きだった朝倉さん夫婦、その家で飼っていた猫のハッピー。
彼らがいなくなった時、ぼくはとってもとっても泣いた。
たぶん今までの人生で一番泣いた。

それでも、あくせくとした毎日の細かい約束事の中にそれらは埋没していき、やがて色褪せていく。
涙を流したこともいつか忘れてしまうかもしれない。

灯篭流しを一緒に見たあのコが、灯篭を見て「きれい」と言った。
人の命が川を流れている。
人の命がろうそくの炎に移り変わり、ごうごうと燃えている。
命の輝きは、やはりとてもとても美しい。
死んでなお、美しいのだから、生きているぼくらはもっともっと輝かなければ、ならないね。


K.K


【今日の新曲】

「けしの花」

雨の音がして起きた
白い朝 青の季節
きみははじめて雨を見たような顔して空を見上げる
きみが好きさ

誰かが汚したこの雨に
濡れたって構わない

8:15
こんな熱い夏の朝だったんだね
2012 / 8 / 6
100円のドーナツ
お代わり自由の珈琲

紅い花摘んで ちょっと川沿い歩いてみよう
きみが好きさ
姿のない姿
姿なき心
姿は姿でしかなく
姿はいつもまやかし

アメ横の安い寿司屋でビール
ああ今ふたり生きている

14:46
そういえばこんな晴れた日のことだった
2012 / 8 / 8
浅草でアンヂェラス
丁寧に淹れた珈琲

13:03
いつもとおなじきみと別れたあと
ひとり 喫茶店
きみは今頃暇そうな顔して
店番してる
今日も夜まで眠いだろう