テキーラの最後の一粒

じゃかじゃん。
朝になって、窓を叩くはやっぱり雨。
むわっとした道路と汗と部屋の匂い。
むせかえる香りはなにかをおもいだすのには、ちょうどよい。

今日は久しぶりのお休みでした。
新宿で昼飯を食べて、高島屋をぶらついたり。
下北沢で冬物のコートを買って、お茶をしたり。
渋谷で急遽、ちょいとお仕事をしたり。
また下北沢でライブを見て、カラオケ行った。

絵に描いたよう休日。
思い出すだけで胸がぎゅっとなる。
当たり前みたいにいつも、すぐに逢えない人なのに、なんでこんなに顔を見ただけでいつも近くにいるような気になるんだろう。
それは多分、逢ってない時間に考えてることや見ているものが同じだからなんだろうな。
気持ちや、想いってものを共有するには、片一方が強すぎても弱すぎてもいけないのかな。
僕たちは多分一緒なんだろうなあ。
見え方や、形は違ったとしても、中身が一緒だとこんな気持ちになるんだな。

やっぱり思い出すだけで胸がぎゅっとなる。



行ったライブについても書いておく。

下北沢ベースメントバーにて、Hystoic Veinのラストライブに行ってきた。
彼女たちは神戸のバンドで、でもなんでだろう結論から言うと下北沢ベースメントバーのバンドだった。
それは、今日はっきりとわかった。
うーん。ずぅっと前からそんなこと知ってたのかもしれない。

はじめて会った場所はベースメントバー。
ぼくはその日、転換DJとしてそのイベントに参加してた。

彼女たちはクールだった。
スタイリッシュでヒップでラディカルだった。
それは彼女らの美学の上で成り立っていたんだと思う。

ぼくはメンバーにすごいバンドが神戸にいるとすぐ伝え、2010年のぼくらのはじめてのツアー【退屈な若者たちのためのツアー】の神戸太陽と虎公演のサポートをお願いした。

それからベースメントバー、太陽と虎はもちろん、名古屋でも一緒のイベントで共演してきた。
彼女たちは数少ないぼくと同世代のバンドだったし、ほぼ同じ志を持っていたから、音楽の質感やメッセージは真逆だろうと同じイベントに呼ばれることはおかしくなかったんだと思う。

こう書いていると、思い出せないことは少ない。
それはほぼ一年半くらいの間で起こったことでしかないから。

彼女たちは名前の通りのバンドだった。
ヒステリックな音像と、ストイックな心を持った若者たちだった。
持ち前の力が発揮できない日は、地獄の底まで楽屋で落ち込んでいた姿を今でも覚えている。

その瞬間に、その四人でしか共有できないオルガズムを彼女たちは知っていたんだと思う。
ぼくらはその絶頂を彼女たちと分け合うことが出来た、なんていうか非常に貴重な、贅沢な奴らだったんだと思う。

けど、終わったらおしまいだ。
終わってしまったら、もうなんにも残らない。
彼女たちは彼女たちの命が果てるまで生きるのだろうけど、Hystoic Veinの命は果てることになる。
当たり前だ。これだけは断言できる。
ALL OVER。

彼女たちから、【終わること】を聞いてからぼくが感じていたことが、上記した5行だ。

昨夜の彼女たちはクールじゃなかった。
スタイリッシュでもヒップでもラディカルでもなかった。
彼女らの美学は不敵な笑みであって、笑顔ではなかった。
彼女らの美学は哀しみであって、泣き顔ではなかった。

つまり、彼女たちはかっこ悪かった。
最後の四人の姿は、ちょーかっこ悪かった。
作り込んだ美学は打ちのめされ、無様な姿が浮き彫りになっていた。

この四人で音楽を鳴らす喜びがステージの上から、ぼくたちに広がって粒のように落ちてきたのだ。
そのギターリフをステージで共有することが最後だという哀しみが、心の端々に染み出してきたのだ。

それは、彼女たちの美学からすると隠さなきゃならない感情なんだろうけど。
ぼくは彼女たちのだっせえ姿が見れたことが、なんだか嬉しかった。

Hystoic Veinがいなかったなら、ぼくらは2010年のツアーを回りきれなかったと思う。
あの日、神戸のステージで見た妖艶なロックンロールがなかったらぼくはあの日、限界を超えれなかったんだと思う。

四人の若者が這いつくばって手に入れた興奮と、美しすぎる日々はここで終わるけれど。
なんでだろう、刻み込まれた刺青のようにぼくに残っているのは。






テキーラの最後の一粒。
黄金色の夢は間近まで来ている。

カラバッシュビルより最大の愛を込めて。

K.K




おまけ