NO
泣きそうだった。
という言葉にはまったくもって共感ができない。
というよりかは、それを伝える行為に共感ができない。
例えばそれがライブ後に言われた言葉だとしたら、俺にとってその言葉が残す気持ちは「悔しい」でしかない。
だから俺はもっとやれますよ。もっとやります。
体中の水分全部無くなるまで歌いますよ。って思う。
その流れる寸前の涙が最後にたどり着いた場所はどこだったのだろうか。
遠い宇宙の話のよう。
忘れらんねえよのワンマンライブで、ぼくは泣かなかった。
彼らのライブを観て泣かなかったのは初めてだった。
今まで何回観ただろう。
2009年からの4年半で、ぼくは何回彼らのステージを観てきただろうか。
もう数えきれない、覚えてられないほどの数を観て来ただろう。
きっと悔しさが、そこにあったからかもしれない。
こんなこというのは変かもしれないけど、今までぼくは彼らに嫉妬したり、悔しいって思ったり、もっと言えば負けた〜って思ったこと一度もなかった。
それよりも同じ志と、同じ強さを持った戦友のような気持ちだった。
会社の同期や、バイトの同僚、学校の同級生。
きっとそんな感じ。
お互い、夢に向かって突き進む、心許せる友人。
でも、今夜クアトロの最後尾から観た彼ら。
そんな彼らが観ている風景は、俺が辿り着いたことのない風景を観ていた気がした。
インディーズのどのシーンにも属せないまま、メジャーデビュー。
ロックインジャパンフェスを筆頭に夏フェスに出演。
初のワンマンはクアトロ。
そして、今日発表されたリキッドルームワンマン。
気づけば俺たちがこの2年でやってきたことと、まったく同じ道を辿っているあいつらだから思うのかもしれない。
同じハコ、同じ道を俺たちも体感してきた。
けれど、そこから見える風景の輝きが違うのは、そこに立つまでに落ちてきた穴の深さ。
それが圧倒的に違うからなのだろう。
何度、絶望しただろうか?
何度、やめようと思っただろうか?
何度、メンバーとケンカしただろうか?
そうだね、数えられるくらいのものだろう。
忘れらんねえよはきっと落ちてきた底の深さが違うんだ。
輝きを求める貪欲さが違うんだ、きっと。
そりゃあ、負けるわ。
負けたくない。
27才になって、バンド始めて14年経って、勝ち負けとかそんなもんで測れないとか悟ったつもりだったんだ。
負けたくない。
絶対、あいつらには負けない。
まだ、そう思えるから、まだ、やる。
誰かの趣味の悪い悪意に、きちんとひとつずつ傷ついてきた。
目を背けずに、ちゃんと傷ついてきた。
そのたびにちゃんと、どうにかして折り合いをつけてきた。
それだけは誇れる。
やれる?
うん。まだやれる。
K.K
【今日の新曲】
「NO」
なあ俺に見せてみろ
お前の血の色を見せてみろよ
なあ取り出してみろ
お前の心臓を見せてみろ
たとえば緑色ならば
ひん曲がった顔でしかめっ面か?
なあ鏡を見てみろ
その時のお前は人間ではない
生まれた時にはなんにも
持ちあわせてやいなかったろう
今となって俺達が背負ってしまってるなにかも
文庫本ほど薄っぺらい
譲るな
それでも譲ってはならない