その時、地球では

ネットが普及した。
空が青い。うさぎはかわいい。
子供は無邪気。手のひらを太陽に。
ってくらい、もはや普通のこと。

おかげさまで表現者たちは手軽に自分の作品を世に発表できることになった。
ライブハウスを借りなくても音楽家はsound crowdで音源を発表できる。
ギャラリーを借りなくても、写真家や絵描きはTwitterFacebookで作品を発表できる。
映画館を抑えなくても、映画監督はYouTubeで映画を世界公開できる。

そしてインタントにものも作れる時代になった。
楽家はPC一台。
写真家や映画監督はスマートフォン
絵描きはタッチペン。
機材を揃えずともみんな『プロ気分』でやれる時代になった。

ギリギリアナログ時代に産まれ、音学を独学で始めたぼくにとっては(幸運にも)思うことは結構ある。
が。もうそれはいい。
世の中には才能があって、面白いことやってる人がたくさんいる。

それが事実。
ビンテージのアコギを持っていても、持ち腐れてたら打ち込みの音一発に負ける。
古いフィルムカメラを持っていても、インスタグラムの一枚に負ける奴もいる。
油絵だって、水彩画だって、PC上のつぎはぎに負けることだってある。

ツールはなんでもいい、面白いことやってるやつが正義。
ぼくも、ぼくが面白いと思うことだけ、やり続けよう。

K.K




【今日の新曲】

『その時、地球では』

誰かが誰かを見送ってる
たとえば駅の改札で
誰かが誰かを見送ってる
たとえば玄関で向き合って

誰かが誰かを見送る姿は
片言で喋る外国人さ
誰かが誰かを見送る姿は
やっぱり天使なんかじゃない

その時、地球では音楽が流れてる

誰かが誰かを見送ってる
たとえばひと気のない空港で
もう二度と会えないなんて
予想してなんかなかったよ

その時、地球では音楽が流れてる

ご覧の通り なんでもないさ
目を細めて 見ていておくれ

誰かが誰かを見送ってる
電話口の向こうで
誰かが誰かを見送る姿は
品のないチンパンジーみたい

その時、地球では音楽が流れてる